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「察してくれ」ではいけないですね。
JR博多駅筑紫口より徒歩3分の勉強カフェ博多プレースは、多様な方々にご利用いただいてますが、基本皆さん良い人ばかりです(^^)。
今日の福岡博多は朝からずっと雨模様。そのせいかテラスでの勉強は少し寒いようでした。昨日も雨でしたが、お休みをいただき温泉場でリフレッシュしてきました。そのリフレッシュタイム中に見ていたSNS記事で考えさせられるものがありました。
コミュニケーションの要諦は「察してくれ」に甘えないこと。
という記事です。これはあらゆる場面で言えることだとすぐに納得できました。親子家族関係であっても、職場の上司部下の関係であっても、友人知人の関係であっても、ギクシャクしてしまうきっかけの大半はこれではないかと、妙に腑に落ちたわけです。
上司部下の関係であれば、上司は「これくらいわかってるだろう」とか、部下は部下で「トップに対して「困ってたら助けてくれるだろ」と思って助けを自分から求めないケース。結果的に締め切り寸前に「すみません、納期を遅らせてもらえませんか」となり、ひどい場合はそれすらも言えずに精神的に追い込まれてしまったり、結果仕事が後手後手となり大きな損失につながったりもするでしょう。いろんな職場でもよく聞くような情景です。またこれは家族など身近な所でも大いにあり得るケースですね。どちら側も結果「お前が(貴方が)こちらの気持ちや状況を察してくれよ」と甘えているというのです。
どちら側も甘えているという指摘。ズシっときました。そしてこの記事では仕事の場合、これからますますクラウド化やアウトソーシング化されていくと、社内のみの問題ではなくなるので、社外の人にうまく伝える仕組みが不可欠であると。だから「察してくれ」というのは過去のことであると。これからは細かいまでのルールや仕組みが必要不可欠とならざるを得ないというのです。
言われてみるとその通りだと感じるばかりでした。仕事面では今後ますます伝えることの重要性が問われてくるでしょう。個人でも「私のことを理解してくれない」と一人思い悩んでしまっていたりとかよく耳にします。その際に「どこまでわかってくれるように伝えたか」「何が伝えられないポイントなのか」自ら考えてみることが大事ですね。いつの間にか「察してくれよ」と相手に甘えながら伝えきれてないことが多いのかもしれないと、普段の言動を顧みるきっかけとなった次第です。「察してくれよに甘えない!」心に留め置きなきゃならんですね。
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